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配属決定後の半年(さらに洗礼を浴び続ける)

前回の記事で触れた通り、配属先が決まった後、先輩と共にOJT研修を受け、わずか2週間後には自分の担当エリアが与えられた。しかしその担当エリアは、売上が少なく、取引の頻度が低い場所が中心だった。具体的には、横浜の電車系の量販店、大森のインテリアショップ、そして川崎と相模原の小規模な店舗だった。ちょうど、先輩であるかつまたさんが退職を決意しており、彼が担当していた、売上の振るわない店舗を私が引き継ぐこととなった。

初の顧客訪問:先輩との同行と挨拶の引き継ぎ

最初に訪問したのは、横浜に本拠地を持つ電車系のスーパーで、かつまたさんと共に行った。その店のバイヤーは、私を新人としてみて、何故新人が担当となったのか、という疑問をかつまたさんに投げかけた。当時の私は、このバイヤーと良好な関係を築けていなかった。彼は眼鏡をかけた、少し鋭い表情の、あまり笑顔を見せない人物で、接しにくい雰囲気を持っていた。私は、営業の基本として雑談の重要性を理解していたものの、彼との間に心地よい雑談を持ち込むスキルや知識が不足していた。そして、そのスキルを磨く努力もしていなかった。

何度かの訪問と新商品の提案の後でも、商品の売れ行きは良くなかった。定番としての商品が定まることはなかった。

返品不可になったことで売上が急減 駄目な営業マンのレッテルを貼られ

横浜のある電車系スーパーで、前任者であるかつまたさんが担当していた際、売れ残り商品について部長には知らせずに、巧みに返品処理をしていたとのこと。このように売れ残った商品を返品し、新しい商品を配置することで売上を維持していた。

しかし、私がその後の担当となり、売上が大幅に下がってしまった。その主な理由は、返品を拒否したからだ。バイヤーからは前任者と同じ条件での返品を求められた際、返品を承認すべきか部長に相談したところ、思いの外、部長から厳しく叱られた。彼によれば、当店は商品を買い取る方針であり、返品はしないとのことだった。その後、売上の減少を理由に部長から再び叱られることとなったが、これは私にとって非常に理不尽に感じられた。

最初の取引時点で返品が認められていたのに、その後の方針変更で返品が不可となったことが売上減少の大きな要因だと、私は内心感じていたが、その気持ちを部長に伝えることはできなかった。

結果として、私は入社直後から「駄目な営業マン」とのレッテルを貼られてしまった。

川崎のディスカウントショップへの献身的な訪問:唯一の友、森本君

僕が実績を上げることができた唯一の場所は、川崎のディスカウントショップだった。しかし、この店の部長、Iさんは非常に気難しい性格の持ち主で、先輩たちからも「I部長は扱いにくいから注意しろ」との声を多く聞いていた。実際、彼は文句を言うことが多く、いつも不機嫌な顔をしていた。それでも、私の商品提案には前向きで、頻繁に商談が成立した。このため、私は週に一度はこの店を訪れることとなり、セールス期間などでは店舗スタッフとしても活動した。店のスタッフは皆、非常に親しみやすく、特に2歳年下の森本君とは良くなった。彼の家族は静岡で店を経営しており、彼自身はその経験を積むためにこの店で働いていたという。厳しいI部長の下で働く人々は多くが半年で退職するというが、森本君はしっかりと耐え抜いていた。私も当時、会社でのパワハラを体験していたため、彼との共感から友情が深まった。彼とはよくランチを共にし、一緒に川崎のカラオケにも行った。彼はカラオケが得意で、以前はバンド活動もしていたらしい。

社内での楽しい経験はほとんどなかったが、社外では森本君とのような素晴らしい出会いがあった。彼は私の唯一の友人であった。

12年後、久しぶりにその店を訪れて森本君の近況を聞くと、彼は昇進して別の店の管理を任されていたとのこと。小柄な体格ながらも、彼の根性と実力を改めて感じ、心から感心したのを覚えている。