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教育系を母体をもつZ社に第二新卒入社する

Z社の面接

面接を受けても落ち続け、少し将来に不安を感じていました。前回の人生最大のピンチであるヤクザ事件の解決後、安堵感でぐったりしていました。ある意味で非常に恐怖を感じたので、この事件で感じた恐怖に比べれば、就職できないことなどは取るに足らないと思うようになりました。面接はおそらく5から6社受けましたが、すべてダメでした。

ある時、読売新聞の求人広告で1件の記事を見つけました。情報誌の企画営業を募集しているとのことでした。その会社はZ社という名前で、母体は教育産業ですが、広告代理店や情報誌の事業にも進出していました。今回は新規事業として、埼玉の生協の情報誌の広告営業を募集していました。新宿ということで遠かったですが、出社が9:30だったので、なんとか通勤可能でした。私は早速、ここに面接を受けることにし、応募しました。最初に履歴書を送りました。

一次面接は石塚部長という、背の高い、がっちりしたおじさんでした。どうやらこの事業部を取りまとめている部長のようでした。石塚部長は私に丁寧に事業のことを説明しました。もともとは新卒採用の分野で、大学生協と取引しており、ブックカバーのイメージ的な協賛広告を大手の会社と契約していました。その他、タイプなどの求人情報誌も扱っている広告代理店という位置づけでしたが、今回は埼玉の生協とのパイプができ、そこでタブロイド情報誌を発行することになり、その営業を募集することになりました。この頃の私は漠然とではありますが、広告代理店や広告の営業をやりたいと考えていました。一次面接の石塚さんは何とか通過しました。内定かと思ったところ、2次面接もあるとのことでした。また、今回は応募者も多かったようで、2次面接で最終的に決まるとのことでした。

以下の文章を校正しました。原文の意味を保持しつつ、文法や表現を改善しています。

運命の2次面接

2次面接は課長と係長による面接でした。課長は厳しそうな顔つきの40代後半の人物で、係長はおそらく50代で、頭が薄かったです。

私は2人から様々な質問を受け、なんとか答えていましたが、最後に「自己PRを3分間してください」と言われました。これは予想外の要求でした。学生時代の面接でもこの種の自己PRを求められることがあり、本当に困る質問でした。準備がなければ、何を話していいかわからず、しどろもどろになってしまいます。学生時代にもこの質問で困り、そのせいで落ちた苦い経験がありました。私は一瞬焦りました。

しかし、これが運命だったのかもしれません。ふと閃いたのです。「携帯電話の販売デモンストレーションをすればいいのでは」と。他の人はこのような時に自分の実績や得意分野を話すことが多いですが、私はその時、他の人がやらないような創造的な自己PRを行いました。

「私には輝かしい経歴も特別な経験もありませんが、携帯電話の販売には熱心に取り組んできました。そこで、自己PRとして、携帯電話の販売トークを披露したいと思います」と言いました。

正直、そんなに上手く話せたわけではありません。とっさに思いついたアイデアとしては自分でも素晴らしいと思っていましたが、これで落ちるかもしれないと思いました。

面接終了後、4日後に合格通知が届きました。私は驚きました。

後日、私を採用した加藤課長は、私を採用した理由について話してくれました。携帯電話のデモが他の応募者と少し違っていたと感じたため、採用を決めたそうです。実際に応募者は多かったそうですが、私はひらめきと奇策でなんとか合格を勝ち取ったのでした。