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リーマンショック後異業種のホームページ制作営業に挑戦

この記事では、40歳で異業種からホームページ制作会社の営業に転職した私の経験を共有します。リーマンショック後のキャリアの転換、新しい業界での挑戦、そして営業としての苦闘を綴ります。特に、1万件のテレアポを経てようやく手にした初契約のストーリーを中心に、営業の現実、挑戦の難しさ、そして最終的な成功への道のりを詳細に描き出します。初契約は不用品回収業者とのもので、厳しい料金交渉を経て成立したこの契約は、私にとって大きな成長と自信の獲得の機会となりました。読者の皆様には、転職や新しい分野での挑戦を考えている方々に、この記事が希望と実践的な洞察を提供することを願っています。


キャリアの大きな転換点を迎えた出発点は、リーマンショックという世界的な経済危機でした。当時、私は求人広告代理店で営業職に就いていましたが、経済の荒波は私の職場にも容赦なく押し寄せ、会社は大きく揺れ動きました。結果として、私は希望退職という形でその職を離れることになりました。

営業としての経験は豊富でしたが、成績は決してトップクラスではなかったのです。それでも、私は新しい挑戦を求めていました。広告代理店での経験を活かせる仕事を探し、思い至ったのはホームページ制作の分野でした。広告の世界との親和性、そして私自身の営業スタイルがこの業界に適していると感じたからです。

そこで、私は求人広告を眺める日々を送り、何社かの面接を経て、ついにホームページ制作会社からの内定を手に入れました。これは私にとって、全く新しい世界への第一歩であり、40歳という年齢での大きな挑戦の始まりでした。

残業の日々で営業幹部の甘い夢を見る

私が転職した会社は、ホームページと動画制作を主に行う企業で、北池袋の雑居ビル群の中に位置していました。環境は決して理想的とは言えませんでしたが、そこには新たな可能性が広がっていました。私と同じ時期にもう一人、同世代の新入社員が入社しました。どうやら、この会社は新規顧客の獲得を目指しており、私たちはそのための営業要員として選ばれたのです。

私の10年に及ぶ求人広告営業の経験に、会社の専務や社長も大きな期待を寄せていました。私自身も、これまでの経験を活かして活躍できるだろうと楽観的に考えていました。しかし、実際には、ホームページ制作の基本的な研修を受けた後、すぐに営業活動を開始することになりました。

大手企業と違い、この小規模な会社では、営業資料の作成やテレアポのリスト作りなど、すべて自分で行う必要がありました。これが思いのほか大変で、夜の12時までかかる深夜残業が日常となりました。体は正直きつかったですが、この事業が成功すれば営業幹部への道が開けると、当時は甘い夢に酔いしれていました。

厳しいスタートと初日の挫折


営業活動の準備を整え、いよいよ営業のスタートを切りました。最初に私がターゲットにしたのは、電話帳を使ってリストアップした士業、特に社会保険労務士などでした。私は、およそ200件の電話をかければ、少なくとも1件のアポイントメントは取れるだろうと楽観的に考えていました。しかし、実際に初日に電話をかけてみると、全くと言っていいほど手ごたえがありませんでした。

翌日も、その次の日も、状況は変わらず、契約はおろか興味を示す会社さえ見つかりませんでした。私は焦りを感じ始めました。求人広告の営業時代、真剣に電話営業を行っていたのは10年前の3年間だけで、その後は固定客が形成され、積極的な新規開拓営業を行うことはほとんどありませんでした。昔なら200件程度の電話で少なくとも1件のアポイントメントは取れたものですが、今回はまったく反応がなく、私の営業スキルに疑問を感じ始めていました。

上司からのプレッシャーが日増しに強まる中、私はこれまで築き上げてきた営業スキルに対する自信を完全に失い始めていました。最初のうちは上司も特に何も言わなかったのですが、私が一向にアポイントメントを取れないことが明らかになると、彼らの態度は一変しました。トークの方法を変えるべきではないかというような口出しが増えていきました。これにより、私のプライドはズタズタに引き裂かれる思いでした。その状況に耐えかね、会社を辞めたくなるほどの絶望感に襲われていました。営業としての自分の能力に疑問を持ち始め、かつての自信は影を潜めていました。この時期は、私にとって非常に厳しい試練の時でした。

アポイントメント獲得の難しさリスト選びの誤算

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アポイントメントが取りにくかった理由を振り返ると、今となっては明らかにリスト選びの誤りが原因であったと理解しています。求人広告営業時代、私は過去に求人広告を出した会社のリストを使い、ニーズが見込める企業に絞って電話をかけていました。つまり、何らかのサインがある会社に集中してアプローチすることができたのです。しかし、今回のホームページ制作営業では、電話帳を使った無差別なリストからのアプローチでした。相手の情報や状況がまったく分からない中での電話は、当然ながら無駄打ちが多くなりました。

リストの重要性について、これまで深く考えたことはありませんでしたが、営業においてリストは最も重要な要素の一つです。この重要な点に気づかず、私はただひたすら電話をかけ続ける日々を送っていました。適切なリスト選びが、成功への鍵であることを痛感した瞬間でした。

1万件のテレアポからの初訪問

日々、絶え間ない電話営業を続けた結果、私はおそらく1万件にも及ぶテレアポを行いました。そしてある日、ついに念願のアポイントメントを取ることに成功しました。その会社は便利屋で、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などの処分・回収などのランディングページ制作に関心があるとのことでした。幸運なことに、私が電話をかけた際にはつながらず、その電話が会社の社長の携帯に転送されていたのです。社長は、私の電話をホームページからの問い合わせと勘違いして折り返し連絡をしてきました。

電話に出た私がホームページ制作の営業であることを説明すると、彼はちょうどリスティング広告を使った集客を考えており、ランディングページの制作を検討しているところだったのです。すでに取引のある会社との合い見積もりになるとのことでしたが、見積もりを出すよう依頼されました。

この瞬間が、私が待ち望んでいた時でした。これまでの1万件の電話営業の苦労が、ついに報われる瞬間が訪れたのです。この一件が、私の営業キャリアにおける大きな転機となりました。

初契約への道:交渉と成果

アポイントメントを取得した後、私は上司と共にその便利屋の会社を訪問しました。初めての訪問で緊張していましたが、私たちは自社のホームページ制作サービスについて熱心に説明しました。会社の社長はランディングページの制作に関心を持っていましたが、料金に関してはかなり厳しい交渉が行われました。彼は明らかにコストを抑えたいと考えており、私たちの提示した金額に対して相当な値引きを要求してきました。

この交渉は一筋縄ではいかないものでしたが、私たちは柔軟に対応し、最終的にはお互いが納得できる金額で合意に至りました。料金は当初の想定よりもかなり低くなりましたが、それでも私にとっては大きな成果でした。この初契約は、私の営業キャリアにおいて非常に重要な一歩であり、これまでの苦労が報われた瞬間でした。また、この経験は今後の営業活動において大きな自信となり、新たな顧客獲得への道を切り開くきっかけとなりました。