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問屋・卸売会社から見た、今から30年前の量販店・流通業界の群雄割拠な状況。

私は新卒で、主に大手量販店向けにアパレルやインテリア製品を供給する卸売り会社に入社した。記憶を整理する意味で、今日は1990年代、つまり今から30年前の量販店の状況について書き留めておきたい。

私の勤務していた会社には、婦人服、子供服、インテリア、紳士服部門があり、当時の年商は100億近くだったと思う。都内の量販店やディスカウント店のほとんどと取引関係があり、業界の中堅としての位置づけだった。

現在と30年前とでは、流通業界の勢力図は大きく変わっている。現在、量販店業界はイオングループとヨーカ堂グループの2強が存在し、その他のスーパー量販店は2強に比べて規模が小さい。中堅の存在が少なくなっている。当時は、ユニクロのような店は存在せず、量販店の影響力が強かった。また、ニトリのような専門ショップもそれほど存在しなかった。

この2強が強化され、カテゴリーキラー的な専門ショップが台頭する中、中堅店舗は生き残るのが難しくなった。この現象は、現在の日本や資本主義の「二極化の進行」として捉えられる。つまり、豊かな人と貧しい人の間の中間層がなくなる現象だ。

しかし、30年前はイオングループやヨーカ堂グループ以外にも多くの量販店が存在していた。私の部署では、イトーヨーカ堂、ジャスコ(現イオン)、忠実屋、ヤオハン、マルエツ、東武ストア、ニチイ(マイカル)、大丸ピーコック、ダイエー、ケーヨーホームセンター、および地域の小規模なインテリア・アパレルショップなどと取引していた。特に、イトーヨーカ堂やジャスコ(現イオン)との取引額が大きかった。

私が入社した年には、忠実屋がダイエーに買収された。当時、ダイエーの売上はトップだったと記憶している。私の会社の紳士服部門では、ダイエーとの取引が最も多かった。

30年前の私は、今の量販店の勢力図を予想していなかった。特に、ニチイ(マイカル)グループとダイエーグループの経営破綻には驚いた。1990年代、ニチイ(マイカル)グループは積極的に出店しており、経営が悪いとは思えなかった。ダイエーも同様で、リクルートを買収するなどしていた。しかし、これら2つの量販店の失敗の原因は、過度な拡大戦略だったとされている。

量販店は、低価格を求める消費者を引き付けるために、大きな購買力を持つことが必要であり、これを支えるためには新店舗の出店と業績拡大が必要だった。そのスピードや方向性に問題があったのかもしれないが、攻めの姿勢で新店舗を出さなければ、最終的には市場から淘汰されるのだろう。

タラればの話だが 無理な拡大がなければダイエーやマイカルは今も存在していたか

これらの量販店が潰れてしまい、他の企業に吸収されていったことを考えると、無理な拡大を避ければ生き残れたかというと、それも疑問だ。

量販店は、結局のところ、安さを追求してお客様を引きつける。利益を確保しながら商品を安く提供するためには、大メーカーとの交渉力が必要で、その交渉力は大きな購買力から生まれる。この購買力を持続・拡大するには、新規の店舗を大量に出店して、さらに購買力を強化していく必要がある。出店のスピードを誤ると、市場から取り残される可能性が高まる。攻めの姿勢で新規出店を続けなければ、最終的には業界から淘汰されてしまうのだろう。