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同期から言われた「お前営業極めてみろよ」の一言が今の自分の原点

次々と辞めていく同期の人間

僕がアパレルインテリア卸売会社に入社した時、同期は6人いましたが、1年目の後半から2年目にかけて、2人が退職しました。退職したのは渡辺君と尾山君です。

渡辺君の悲惨な末路

渡辺君は人の悪口がひどかったです。同期の飲み会では、必ず先輩や部長の悪口を言い、場を盛り上げていました。僕もその頃は、そういう会社の愚痴を言うことが楽しみで、一緒に愚痴を言ったりして楽しんでいました。特に渡辺君は人の物真似が得意で、会社の上司や部長の物真似をして笑いを取っていました。

個人的には僕は彼と親しくなく、一定の距離を保っていましたが、彼は会社や先輩に対して敵意を持っているような感じがありました。最終的に彼は退職し、当時会社に出入りしていた生命保険会社の紹介で日本生命の営業に転職しました。彼は基本的にお金を最優先に考える性格で、日本生命に入り、部長職に就けば年収800万円以上になるという話を信じ、入社しました。しかし、営業は厳しく、ほとんど契約が取れず、結果は散々でした。

会社を辞めてから2年後、僕のところに彼から電話がかかってきました。クレジットで借金がかさんでしまい、困っているというのです。どうやらクレジットカードの借金が200万円ほどになり、どうにもならない状況だったようです。僕は完全に利用されていると感じましたが、彼に2万円だけ貸しました。100%お金が戻らないと思っていたので、損する気持ちはありませんでした。彼にとっては都合のいいカモだと思うかもしれませんが、僕もこれ以上彼と付き合いたくなく、同期の縁ということもあり、最後の手切れ金として2万円を渡しました。

尾山の一言

もう一人退職したのが尾山君でした。彼は野球などのスポーツマンで、努力家のスポコンタイプの人間でした。入社当時、一番情熱的だったのは尾山君でした。同期のみんなも彼の熱い性格を好んでいました。僕も特に親しくはしていませんでしたが、彼には好感を持っており、彼が一番早く成果を出すだろうと思っていました。仕事のできる順番で言えば、渡辺君の次に辞めるのは僕だと思っていました。だから、彼が僕より先に辞めるのは意外でした。

尾山君の送別会は東京の日本橋の居酒屋で盛大に行われました。そこで、尾山君と最後に話したとき、彼は僕に対して熱く言いました。「和田、お前、営業を極めてみろよ」と何度も言ったのです。お酒が入っていたせいかもしれませんが、その言葉は何度も繰り返されました。

僕は今でもその言葉を覚えています。当時は彼の言葉にあまりピンと来ませんでした。営業はそこそこできればいいと思っていたし、営業成績を上げようという努力はしていませんでした。しかし、彼の言葉「営業を極めてみろよ」は僕の記憶に刻まれました。その後、数年が経ち、彼の言葉どおりに「営業を極めてみろよ」という気持ちになりました。

不思議なことです。当時は全くそんなことを考えていなかったのに、心の奥底に何かの種があったのでしょう。これからの人生に起こることを予感していたのかもしれません。だから尾山君の一言を今でも覚えているのです。

結果として、僕は今営業職ではありませんが、今の収入には満足しています。今の状態に至るまでのプロセスとして、営業関連の多くを学び、研修やセミナーに通い、自分をスキルアップさせました。営業の経験がなければ今の収入はなかったでしょう。

彼の一言「営業を極めてみろよ」は僕の原点となりました。