2023-11-13
インテリア会社のルートセールス秋田部長の以外な一面
前回の記事で触れたように、木村さんが辞めた後、私は既に2年目に入っていました。仕事が本当に嫌だったにも関わらず、何とか1年は続けることができました。木村さんから担当を引き継ぎ、都内を中心に小規模ながら店舗を出店している量販店の担当となりました。1年目はほとんど仕事がない状態でしたが、徐々に忙しくなり始めました。バイヤーの方は若く、おそらく20代後半で、好青年という印象を受けました。彼とのやり取りはそれほど嫌なものではありませんでした。
私が担当していた取引先は、川崎のN社、横浜の地方量販店、そしてこの都内の量販店L社の3社になりました。少しずつ売上は上がるようになりましたが、それでも100万円の売上には届かないようでした。そのため、時々部長から呼び出されては説教されることもありました。
それでも、何も仕事がなかった1年目と比べれば、少しはマシになったと感じています。
岡べさんの説教
私が特に記憶に残っているのは、先輩の岡部さんから受けた説教です。岡部さんは少し太めで明るい性格の30代で、IYなどを担当し、部長からも一目置かれていました。会議では陳列や戦略に関して多くの提案をしており、その発言は重視されていました。
私は岡部さんのことを特に嫌ってはいませんでしたが、彼が私と穴田さんに対して行う説教は、「お前たち若い世代がこれから会社を支えるんだ」という内容でした。今振り返ると、その言葉は間違っていなかったと理解できます。当時の私は甘えた考えを持っており、
「社会人1年目で右も左もわからない自分に、なぜそんな重要なことを言うのだろう?僕にそんなことを言われてもどうしようもない」と感じていました。このような考えが浮かぶ時点で、仕事がうまくいくはずがなかったのです。今思うと、とても恥ずかしいです。
嫉妬と妬み
私が最も苦手だったのは、副部長の小林さんだった。パンチパーマをかけて少し怖めのおじさんだった。
ほとんどコミュニケーションをとった記憶がない。小林副部長も私のことを避けていたように感じた。
穴田さんは競馬が趣味で、小林副部長も競馬が趣味だったようで、穴田さんは小林副部長と仲が良かった。
というか穴田さんは世渡り上手で、部長をはじめ全ての人とうまくコミュニケーションをとっていた。
私は穴田さんのように世渡り上手で、とてもうらやましかった。
なぜ自分は穴田さんのように振る舞えないのか、いつも思っていた。
その反面、穴田さんのように上の人をヨイショするのが、どうも嫌いで、点数稼ぎで、
小学生や中学生の時、先生に気に入られようとする生徒のように思えてしまう。
どうしても、そのふるまいが嫌な反面、ずるいと思ってしまう。
秋田部長との思い出
秋田部長からは、僕が一番厳しい言葉を受けました。特に心に刺さったのは、「お前、営業向いていないんじゃないの?公務員の方がいいんじゃないの」という一言でした。確かにその通りかもしれませんが、僕は深く傷つきました。真剣に営業以外の道を考えたこともあります。
しかし、一度だけ営業同行で昼ごはんを一緒に食べたとき、秋田部長はとても普通の感じでした。
秋田部長は自分のことを気が小さいと話していました。それは僕には非常に意外でした。いつもは大声で、部員を奮い立たせて部を引っ張っている姿しか見ていませんでした。取引先の川崎のN社の部長も非常に癖のある人ですが、秋田部長がいると、真剣に商談し、冗談を交えたり、タメ口で話したりして、決して引かない姿を見せていました。とても気が小さいとは思えませんでした。
しかし今思えば、秋田部長も無理をしていたのかもしれません。部長としての使命感から、木村さんを含む他の人に厳しいことを言っていたのかもしれません。
秋田部長からのアドバイスは、「大きな失敗をしてもいいから、やってみろよ。とにかく飲み会では騒げ」というものでした。しかし、その中に部長の本質を感じました。