2023-11-27
アルバイト3月カメラ量販店卒業さらにフリーターが続く
自分の適性について知る
カメラ量販店での携帯電話販売の仕事は3月の契約終了とともに終わりを迎えました。仕事に慣れ、その面白さを感じ始めていた時期で、店の人たちにも頼りにされていたので、少し申し訳ない気持ちもありました。しかし、私の目的はあくまで50万円を稼いでセミナーに出席することだったので、名残惜しい気持ちを抱えつつも、終わりの日は感無量でした。5ヶ月前は右も左もわからない状態で、本当に大変だったと思い返します。西村さんには迷惑をかけたと思います。
終了日には、厳しい宮崎主任からも感謝の言葉をもらいました。本多副主任とも酒の席で深い話をしましたが、彼は私と同じ学区の高校出身で、同じ年代でした。猪俣さんからは「辞めないでくれ」とも言われました。振り返ると、いつも忙しく大変でしたが、その中にこそ、仕事の楽しさと充実感がありました。これが仕事の意義なのだと感じました。
そして、この仕事を通じて、自分の仕事の適性がわかるようになりました。私の仕事適性をまとめると以下のようになります。
- 接客のような人と接する仕事が自分には向いている
- 人から頼りにされるのが好き
- 暇な仕事より、少々忙しい仕事が好き
- 一つの商品を扱うより、複数の商品を学び、その中から最適なものをお客さんに提案する仕事
- どうしたら売れるか、POPや売り場を考えるのが好き
結局、私は本職では全く違う仕事に就きましたが、ここで自分の仕事適性について学んだことが、その後の転職で役立ちました。「一つの商品を扱うより、複数の商品を学び、その中から最適なものをお客さんに提案する仕事」という点では、自社製品だけでなく他社製品の携帯電話の手続き方法も覚えました。他社製品まで覚える派遣店員は珍しいです。
その後、全く違う求人広告の仕事に就きましたが、他の営業とは異なり、様々な媒体を提案する広告代理店マンとして、お客さんからの信頼を獲得しました。その後の転職でも、この経験が有利に働き、すぐに成果を出すことができました。
私がすぐに成果を出すことができたのは、自社製品だけでなく他社製品の売り方も深く学んだことにあります。この考え方は、好奇心と頼られたいという気持ちから身についたものですが、後にこれが大きな影響を及ぼし、未来の自分を助けることになるとは、当時は思いもよりませんでした。
3月セミナーに出席するが、内容は最悪でフリーター生活が続く
カメラ量販店を辞めた後、4月には念願のセミナーに参加するために大阪へ1週間滞在することになりました。確か、4月の第2週目付近だったと思います。しかし、このセミナーから得られるものは何もありませんでした。50万円を投じたにも関わらず、体や心に変わったことは何もなかったのです。
セミナーの主催者は、50万円のセミナーだけでは不十分で、他のボディワークやヨガのセミナーにも出席しなければ、ビジョンを生きることができないと言っていました。正直、完全に騙されていたと感じましたが、せっかく50万円のセミナーに出席したので、ここで終わるわけにはいかないと思い、そのボディワークのセミナーにも参加することにしました。このセミナーは平日にも開催されるため、とりあえず就職せずに派遣社員として働くことにしました。その結果、インテリア会社を辞めてから約1年半、フリーターとして不安定な生活を送ることになりました。
セミナーから帰ってきて
セミナーから帰った後、まずは収入源を確保しなければと思いました。そこで、大学時代の楽しい思い出があったコピー取りのアルバイトを選びました。しかし、このアルバイトは結局2週間ほどで辞めてしまいました。その理由は、仕事が退屈すぎたからです。カメラ量販店での充実感を経験した後では、コピー取りのアルバイトが面白く感じられなかったのです。やはり、接客をしている時が一番楽しく、もう一度お店での仕事をしたいと思い、辞めてしまいました。
次に選んだのは携帯電話の仕事でした。最初は業務委託で携帯電話の法人営業を始めましたが、思うように売れず、約1週間で辞めてしまいました。結局、成功経験のある携帯電話の販売の仕事に戻ることにしました。同じカメラ量販店には行けないと思い、セミナーを受けた後は次こそ正社員として就職しようと考えていましたが、短期間でも携帯電話の仕事をもう一度やろうと決めました。別の派遣会社に登録し、面接を受けました。次の派遣先はメーカーのケンウッドでした。ケンウッドはこの時、携帯電話の販売代理店として活動していました。
再び携帯電話販売の仕事に就く
面接に合格し、早速メーカーの担当者と顔合わせをしました。この時のメーカーの責任者は大和田さんと宮地課長でした。宮地課長は、以前の近藤課長よりもさらに営業に厳しく、数字以外は見ないタイプの人でした。常に数字が悪いと、誰彼かまわず叱責していました。正直、近藤課長以上に厳しい人でした。反論すれば、「辞めろ」という一言で片付けられてしまうような状況でした。週に1回のミーティングでは、常に数字の問題が厳しく追及され、「なぜ売れないのか」と販売員を一人ずつ責め立てるのが常でした。
僕が最初に配属された店舗は、6月下旬から7月上旬頃の小平でした。約2時間かけて通い、おそらく1週間ほどの短期間でした。その後、家電量販店の港北区に配属されました。新横浜からバスで行く、かなり不便な場所でした。家からも時間がかかりました。
この時、一緒に店に配属されたのが渡辺さんでした。