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2023-11-24

アルバイト

カメラ系量販店での派遣店員としての初体験

前回の記事で僕は
カメラ系の販売派遣店員として、大型店舗に配属されました。最初の挨拶は今でも鮮明に覚えています。東京デジタルフォンのスタッフと一緒に挨拶をしましたが、店長は笑顔を見せず、非常に冷たい印象を受けました。この時、私は不安を感じ、これからの仕事が大変になるだろうと予測し、気持ちが重くなりました。

入社初日は、従業員専用入口を抜けて5階の事務所に行きました。そこには、若くて厳しそうな女性スタッフが受付にいました。まず「おはようございます!」と挨拶し、次に「販売接客用語」を大きな声で唱えるのがルールでした。これは社員も派遣社員も同じで、必ず事務所の前で唱えなければなりませんでした。私は吃音があったため、これが非常に苦痛でした。言い始めさえすれば問題なかったのですが、最初の一言が出ない時もあり、少し苦労しました。その後、フロアマネージャーに挨拶し、他の社員や派遣スタッフにも挨拶を交わしました。

配属されたフロアの概要

私が配属されたのは、ワープロ、パソコン製品、および電話・FAXが販売されているマルチメディアフロアでした。これは5階に位置していました。当時はインターネットが普及しておらず、ワープロの方がパソコンよりも売れていた時代です。携帯電話は現在では量販店の主要商品ですが、1994年当時は目立つ商品ではなく、PC機器製品の一部として扱われていました。

そのフロアには社員が約7人いました(本多主任、えのりーさん、猪俣さん、渡辺さん、川崎さん、親身なさん、吉川さん)。大卒で新しく配属された社員もおり、私は年下の大卒社員の指示のもとで働くことになりました。私が少し年上だったため、気を使ってくれる社員もいましたが、派遣社員を軽視するような態度をとる年下の社員もいました。しかし、全体的には良い人たちばかりで、非常に助かりました。

非常に厳しい店舗であると聞いていたため、私のような新人がいじめられるのではないかと心配していました。しかし、メーカーからの派遣社員という立場があり、変ないじめのようなことはありませんでした。

配属先の社員たち

私が配属されたフロアーで印象に残ったいくつかの人間関係について記述します。まず、私に多くのことを教えてくれたのは、担当の猪俣さんでした。彼は入社当時から店の様々な事柄を指導してくれました。

もう一人の担当者である渡辺さんは、やや気難しい人物で、私に対して様々な文句を言うことがありました。ただ、彼は新しい派遣社員全員に対して厳しい態度をとる人でした。

若手の川崎さんは高卒で入社したものの、最年少でありながら非常に有能で仕事ができる人物でした。

そして、フロアの副主任は、私がこの店を去る日まで知らなかったのですが、なんと私と同年代でした。彼は高校卒業後に入社し、わずか4年で副主任の地位に上り詰めました。副主任としての人事管理が的確で、私と同じ年代とは思えないほど成熟していました。当時、自分は大卒なのに、高卒の彼に大きく遅れを取っていると感じました。それほど彼は仕事ができる人物でした。

同期の派遣社員との出会い

私が配属されたフロアで、私とほぼ同時期に入社した派遣社員が他に2人いました。一人はエプソンから派遣された佐藤君、もう一人はカシオ計算器から派遣された山田君です。私たちは年齢が近かったこともあり、すぐに仲良くなりました。同期がいることは、この状況の中での唯一の救いでした。

しかし、カシオ計算器から来ていた山田君は、およそ2週間で姿を消しました。彼が来なくなった理由は、厳しいフロアマネージャーの宮崎主任に目を付けられたためだと聞きました。

フロアマネージャーとの対応

山田君がわずか2週間で姿を消したことを知り、私はフロアマネージャーに目を付けられないように特に注意することにしました。フロアマネージャーは宮崎さん(仮名)で、かなり厳しい性格の持ち主でした。入社後に聞いた話では、多くの派遣社員がこのフロアに配属されるものの、使えないと判断されると途中で帰らせられることが多いとのことでした。

このような事前情報を耳にした私は、新人であるにもかかわらず、常に大きな声で「いらっしゃいませ」と挨拶し、マネージャーに目を付けられないように心がけました。この対策は、フロアでの生存戦略の一部となりました。