2023-11-28
アルバイトロードサイド型の家電量販店を転々と勤務の日々
小笠原さんからのアドバイス
私は港北区の家電製品店で、約1ヶ月間渡辺さんと一緒に仕事をしました。この店での仕事は楽だったものの、特に気に入ることはありませんでした。特に頭にきたのは、IDOなどのキャンペーン期間中、キャンペーンを担当する男性が客を横取りすることでした。これには渡辺さんも私も怒りを感じていました。私たちが接客していると、彼は突然話に割り込んでIDOの機種を勧めるのです。当然、これは売上にも影響しました。
さらに、毎週の宮地課長との営業ミーティングでは、数字の報告が求められ、私は胃が痛くなりました。宮地課長は言い訳を許さず、なぜ売れないのかと私を厳しく問い詰めました。
一方、ケンウッドの担当である小笠原さんは、少し変わった人物でした。彼は過去に営業成績トップだったことを自慢し、渡辺さんも小笠原さんには閉口していました。私も何となく彼を胡散臭いと感じていましたが、不思議なことに、彼が接客すると商品が売れるのです。
当時の私は営業の基本も知らず、なぜ彼が成功するのか理解できませんでした。小笠原さんは、25歳の私の年齢の時にトップセールスマンで社内で表彰されていたと、嫌味たっぷりに言っていました。彼は少し変わっていたかもしれませんが、悪気はなかったと思います。確かに、私と比べれば天と地ほどの差がありました。
小笠原さんからのアドバイスは、「説得力はあるけれど、なんとなく暗い影がある。もっと明るくなった方がいい」というものでした。確かに、昔も今も変わらず、少し暗いキャラクターでした。内向的で人見知りな私ですが、人一倍寂しがり屋でもあります。小笠原さんの言葉は、まるで私の心を見透かされているようで、反論の余地はありませんでした。
相模原店舗での暇な毎日
10月から、私は相模原の店舗に移動しました。実は、12月に関内に新しい店舗がオープンする予定で、私はその店舗の販売派遣要員として考えられていました。それまでの間、別の店舗で勤務することになり、相模原の海老名の店に行くことになりました。
この海老名の店は、とても暇な店舗でした。平日はもちろん、土日もほとんど人が来ない、非常に暇な店舗でした。同じような派遣店員がいれば話し相手にもなるのですが、そういった派遣店員もおらず、本当に孤独な時間を過ごしました。人がいないため、トラブルもなく非常に楽ではあったのですが、問題は売上でした。
特に、毎週一回の報告会が辛かったです。宮地課長は、客がいようがいまいが関係なく、数字がすべてでした。私は店に人が来ないと話しましたが、それを理由に売れないのであれば「お前にお金を払う価値はない」とばかりに説教されました。担当の大和田さんは私に親切にしてくれ、多少はかばってくれましたが、店舗での仕事が楽な反面、ミーティングは辛かったです。
その後、私は新しくオープンした関内店に配属されました。退屈な日々を送っていたので、関内店への期待は大きかったです。オープン初日から配属されました。
この家電量販店は群馬に本社を持ち、社員の半分ほどが群馬から来ていて、神奈川に引っ越してきたそうです。田舎の良さが感じられ、駅前のカメラ量販店と比べて人間関係がぎすぎすしていない点が良かったです。店のスタッフは皆穏やかで、曲者のような人は一人もいませんでした。さらに、派遣店員として僕以外にもパイオニアや他のメーカーからも人が配属されていましたので、仕事中に話すこともありました。
当時は携帯電話が市場で大きなブームとなり、PHSという新しい端末も市場に出始めていました。私はアステルから派遣された三浦さんと一緒に仕事をしました。三浦さんは大学4年生で、短期バイトのような立場でしたが、すぐに打ち解けました。特に恋愛関係にはなりませんでしたが、仕事で仲良くしていたので、卒業祝いに何かプレゼントした記憶があります。
また、私は携帯電話の仕事が好きで、平日の休みには他の店舗を視察に行くこともありました。関内店のオープニングで手伝っていた他の競合メーカーの人たちとも挨拶を交わしました。暇だったからという理由もありますが、それだけ仕事が好きだったのでしょう。
関内店で働いていると、昔カメラ量販店で働いていた時にお世話になった近藤所長が視察に来ました。私は以前の職場を辞めていたので、再び同じデジタルフォンを販売していることに少し気まずく感じました。しかし、近藤さんから「昔のことは気にしていない。もう一度仕事をするなら声をかけてくれればよかった」と言われ、過去のわだかまりが解消されました。当時、私は近藤所長に対して反抗的で、首にされてもおかしくないほどでした。