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レンタルオフィスの通信機器販売会社に転職!思わぬ展開

求人広告代理店の社員として営業を行っていましたが、給与体系に不満を抱き、同業種の会社に業務委託営業として転籍しました。しかし、期待した成果を上げられず、半年が経過しても手取りでわずか5万円ほどしか稼げない状況に陥りました。

このままでは生活が苦しく、元の社員として働く道に戻ろうかと考えるようになり、再び就職活動を始めました。

主に広告代理店での営業経験を活かせるウェブサイト制作や集客を行う会社を目指し、いくつかの面接を受けましたが、40歳に近い年齢のためか、書類選考で不採用となることもありました。それでも良い返事をもらえる企業もあり、就職の可能性に希望を抱いていた矢先、ハローワークから1本の電話が入りました。

内容は、レンタルオフィス向けに通信機器を販売する会社から面接の依頼があるというものでしたが、応募した記憶はなく、どうやらハローワークの求人検索で偶然ヒットした企業に適当に応募していたようでした。当初は希望する業種ではなかったため、面接をキャンセルしようとも考えましたが、「冷やかしでも構わない」「異業種の話を聞いて自分の知見を広げよう」と思い直し、面接に臨むことにしました。この出来事は、自身のキャリアを見直し、新たな可能性を模索するきっかけとなりました。

運命の転機と新たな挑戦への直感

当初は面接をキャンセルしようと考えていましたが、「冷やかしでもいい」「異業種の話を聞いて知見を広げよう」と思い直し、面接に足を運びました。その時点では、ウェブ集客の会社から半分内定をもらっており、9割がたその会社に就職するつもりでした。しかし、この面接が僕の未来を大きく変えることになるとは思いもしませんでした。結論から言えば、僕はこの通信機器の会社に就職することになるのです。

面接の相手は社長でした。当時29歳で、僕よりも若い彼は外資系出身で英語も堪能、仕事ができる雰囲気を漂わせていました。その社長が語った言葉に、僕は強烈な衝撃を受けました。ただ、何を話されたのかは全く覚えていません。それでも、面接を終えた僕は「この人に学べば、もっと仕事ができるようになるかもしれない」という直感を抱いていました。求人広告の委託営業で失敗したのは、マインドやスキルが未熟だったからにほかなりません。この人から学べば、確実に自分は進化できる――そんな確信に近い感覚が芽生えたのです。

幸い、この会社への応募者はなぜか僕一人でした。おそらく、ハローワークでの登録の際に手違いがあり、情報があまり広まっていなかったのでしょう。もし他に応募者が多ければ、僕はこの会社に受かることはなかったと思います。まるで神様が用意した機会のように思えました。この出会いが、僕の人生を大きく変えていくのです。

僕が就職した会社の特殊性:通信サービスの営業という挑戦

僕が就職した会社は、非常にニッチな分野を狙った企業でした。通信機器の営業というと、当時はどちらかといえば体育会系で、勢い任せに広く営業を仕掛けるようなイメージが一般的でした。しかし、この会社はそのようなやり方とは一線を画していました。手当たり次第に営業するのではなく、ターゲットを「レンタルオフィス」に絞り込み、その市場に特化したサービスを提供していたのです。

具体的には、電話やインターネットFAX、転送電話サービスといった通信サービスをレンタルオフィスの利用者向けに展開していました。通信機器を販売する会社は数多く存在していましたが、レンタルオフィスに特化したこのコンセプトで戦略を練っている会社は他になく、僕が就職した会社だけがこのニッチ市場を攻めていました。その独自性には非常に驚きましたし、今振り返ってみても、その戦略はビジネスの本質を捉えたものだと感じています。

小さな会社が市場で勝つためには、マーケットを明確に絞る必要があります。それによって競争を避け、独自のポジションを築くことができるのです。この会社の戦略はまさにその典型で、誰も気づかないブルーオーシャンを切り拓いていました。この発想が、後の僕のビジネス観に多大な影響を与えることになります。競争の激しい市場で生き残るにはどうするべきか、そして小さな会社が持つべき強みとは何か――この会社での経験が、その答えを示してくれたように思います。

画期的だったIP電話とナンバーポータビリティの登場

僕が扱っていたサービスは、レンタルオフィスに海外製のIP電話を販売またはレンタルで提供するというものでした。IP電話とは、インターネットを利用して通話を行う仕組みで、「インターネット電話」とも呼ばれています。現在では一般的になりつつある技術ですが、当時は非常に画期的なサービスでした。

特に注目されたのが、固定電話の番号移動に関する制約を打ち破った点です。従来の固定電話は、市外局番(例:03、06など)に紐づいた地域でしか使用できません。一度番号を発番すると、引越しや移転で別の地域に移動した場合、その番号を使い続けることはできませんでした。しかし、10年前のIP電話は規制が緩く、例えば東京の「03」番号で発番されたIP電話でも、インターネットさえあれば全国どこでも利用可能でした。大阪に移っても、東京の「03」番号をそのまま使い続けられるのです。

さらに、ナンバーポータビリティという通信キャリア間で番号を移動できる仕組みも導入されていました。これにより、例えば渋谷のオフィスから新宿に移転した場合でも、固定電話の番号を変更せずに済むようになりました。このIP電話とナンバーポータビリティの組み合わせは、オフィスの引越しが頻繁なレンタルオフィス利用者にとって大きなメリットをもたらしました。電話番号を変更する手間が不要になり、顧客対応や信頼性の面で大きな利便性を提供したのです。

しかし、この話は15年以上前のことです。当時、この技術の柔軟性があまりにも大きかったため、想定外の利用が行われることもありました。例えば、大阪にいながら東京の「03」番号で電話をかけることができるため、アリバイ工作が可能になるといった問題も発生しました。この利便性の高さは、詐欺グループによる悪用を招く結果にもなりました。IP電話が一時期、詐欺事件で注目されるきっかけとなったのは、この仕組みが背景にあったからです。その後、規制が厳しくなり、現在ではこのような利用はできなくなっています。

IP電話の技術は、当時としては革新的で、通信業界に大きな影響を与えましたが、その自由度ゆえに問題も生じたという、技術の両面性を物語るエピソードです。この経験から得られた教訓は、技術の発展と社会的な調整のバランスの重要性を強く感じさせるものでした。